ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2005 「Re:Re:」

@Zepp Tokyo
最高に弾けて、最高に楽しかった。
聞きたい曲を何曲もきけたし、弾け倒して、叫び倒してきた。
今の自分にはアジカンの音楽がどうしようもなく必要だということがよく分かったライヴでした。


こういうことをいうと非常にオコガましいのだが、アジカンのメンバーと私は近いところにいると勝手に思っている。私達は、同じ年に大学に入学し、同じ年で就職した(ケンスイ除く)中学〜高校ににかけての思春期の日本は不況の真っ只中で、私達が卒業した年の大卒の就職率はその翌年よりも悪く、過去最低だった。就職活動をしながら、「本当に日本はどうなってしまうのかしら?」と不安に思い、何年にも渡る不況下でのあのどうにもならない時代の閉塞感や、社会に出る前に、先行きに感じた暗いあの気持ち。あの時代を、あの年齢で生きた私達にしか分からないものがそこにある。私と友人はそれを「同世代感」と呼んでいるのだけれども…。もちろん個人差は大いにあるけれども、同世代というのは、社会に対して担う役割というのも近い。もっと下らないことをいえば、「稲中」が始まった時の衝撃とかそんなんも含めて、同じ年代にしか味わえない空気感。大袈裟なことではなく、飲み会とかで会ったときにタメの人だと会話の内容になぜか共通の話題が多かったりするあの感覚。あれが、あのバンドのメンバーにはあるなぁ、とラジオなどの会話を聞いていて常々思っている。だから、私は後藤氏の歌詞の世界観がどうしようもなく私と繋がっていると思うときがある。同世代という軽いけれども、ある種宿命的なもので、彼らのリアルと私のリアルは何かが共有されている。アジカンの音楽を私は必要としている。(なんて、ただただ好きってこともありますけど…。)

同じ世代(ましてや同じ学年)のバンドがこうやって、活躍しているのを見ていられるというのは、心から幸福なことだと私は思っている。友人に「まだ、ライヴ行ってるの、若いね?」なんて言われたり。(「また」じゃなく「まだ」って言われたんだよ。)学生時代あんなに楽しんでたモノから、みんなどんどん遠ざかっていく。そういう人には、他にしなければいけないことがあるからだ…。そっちの生き方が間違いなく世間的には、正解。

なんつーか、同期もなく、微妙にCDと速度違ったりして、それが技術的に良いのか悪いのかわざとなのか、私はわからないんだけど、それにすごくライヴを感じちゃって、ぐっときた。ゴッチの声は、本人が日記でも言っている通り、疲弊してましたが、「届けー!!」という想いは伝わりました。(途中ちょっと声に関しては守ってた時あったようだけど、最終的には気合で持ち直してました。)途中、キヨシ氏に釘付け。彼のドラム、本当に大好き。聞いていても見ていても、本当に気持ち良いんだもん。
やはり本日も非常にカップル率の高いライヴ。アジカンのライヴは、基本的に周りの人が感じよくストレスがありません。(ワンマンに限る)あと、金髪の日本人以外の方々も数名目撃、アラ素敵。

松山で作ったって曲で「シティーボーイっぽい歌詞つけた」ってのよかった。あんなサービスあるなんてね。大阪で作ったと思われる。ラップ聴きたかったんだけどな〜♪
「君が泣いて夜が終わる〜」って歌詞でしたわ。CDならんかな?


今まで、特に好きな曲じゃなかったけど「ノーネーム」では、軽く泣き入りましたよ、歌詞が現状の私に響きすぎて、聞き入ってたら、照明も良くてで自然と泣けてきた。
「曲がらない意志を頂戴」